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有名な人がたくさん死んだ年だった

2009年は、思い起こすと名前をあげきれないぐらい多くの有名な人が死んだ年で、そのたびにたくさんの人の話題になって大げさに冥福を祈ったり、その人の作品にもう触れられないことに嘆いたり、ショックを受けたりの人たちで祭りが起こる。そういうとき自分はなにかなじめない気分になる。

生まれて死ぬ、これは一つのセットで、特に死んだ後も作品が残るような種類の仕事をした人は、その人がどう生きたかも含めてその人の産んだ作品で、それはやっぱりいつか死なないと完結しないのだと思う。人間がコンテンツとかいうと怒る人がいるけどそういう人だって人生は芸術だといわれるとなんとなく納得してしまうのではないだろうか。そして人生が芸術ならまだ死んでいない人間は未完の絵のようなもので、死は、それがたとえ自殺であったとしても、本人も含めて人間がコントロールすることのできない最後の一筆なのだから、他人が残念だとかショックを受けるとかそういう筋合いのものでもなかろうと。「かわいそうなオーティスは逝ってしまった」と歌ったジムモリソンも死に、彼の歌を歌ったニコも死に、彼らの歌を鼻歌で歌ってる私だっていずれ死ぬ。そうやって人は死に歌は残るんだ。

自分の家族や友達や知り合い、そういう人が死んだときの、もうその人と会えないこと、その人と交わした約束が守れないことに対する喪失感というのはとても大きい。けれど、それだって口に出して言うことでもなければ、大げさに悲しんだりすることでもないんじゃないだろうか。

自分の父親の葬式で仲良くもない同級生が号泣してた時に、自分は泣きもせずにそういうことを考えてた。

これまでに死んだ人間の数と、今生きている人間の数とだったらたぶん圧倒的に前者のほうが多いはずで、むしろ人間は死んでるほうが当たり前なんじゃないの?むしろ生きているほうが特別な付加価値なんだと思う。死にたいというまでもなく、いずれ死ぬんだし。

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